門田界隈の道─もうひとつの岡山文化─
タイトルの「門田(かどた)」とは、岡山市中区の門田屋敷と門田文化町周辺のこと。
岡山電気軌道の終点「東山」電停とその電車通りのエリアといえば分かりやすいかもしれない。
この門田界隈の一角の東山に、明治期のころ異人館3棟が建つ外国人居留地があり、3組の宣教師夫婦が住んでいた。
この外国人宣教師の影響を受けた日本人に、石井十次や上代淑、炭谷小梅、大西絹、中川横太郎などがいる。
こうした人たちのネットワークが広がっていく。
石井十次などは福祉の分野(岡山孤児院)で、上代淑などは教育の分野で活躍(山陽高等女学校・現在の山陽学園中学高等学校)することになる。
このエリアから派生していくキリスト教は、倉敷市や高梁市などに広がって教会ができ、そこがホットスポットとなってさらに広まっていった。
倉敷では大原孫三郎や林源十郎など、高梁では岡留幸助や山室軍平、福西志計子などがいる。
後に「福祉の先進県・岡山」と呼ばれるようになる原点の一つがここにある。
この話の関連書籍としは『慈愛と福祉 岡山の先駆者たち』、『慈愛と福祉 岡山の先駆者たち2』、『林源十郎商店物語』、『留岡幸助と備中高梁』、『福西志計子と順正女学校』などがある。
また、この地区に第六高等学校(現在の朝日高校の場所)の英語教師として赴任してきたガントレットがいた。
ガントレットの妻は日本人(恒子)で、妻の弟は山田耕作。
後に「赤とんぼ」などの作曲家として名を知られる彼も同居していた。
ガントレットはオルガンの名手で、コーラス隊バンド(ゾボー・バンド)を結成し楽しんだりしており、山田耕作は彼の影響を多分に受けている。
ガントレットはさらに卓球を持ち込んでおり、これも岡山では初めてとして三友寺の門の前には「卓球発祥の地」が建てられている。
このエリアは関連史跡が多く、散歩するにはうってつけの場所。
巻頭には散策を案内する地図も付いている。読んでから歩くと、このエリアの面白さは倍増する。
(2020.5.21 金澤健吾)
外国人居留地といえば、幕末に日米修好通商条約など欧米5ヶ国との通商条約に基づいて設置された長崎、横浜、神戸などが有名だ。岡山にも外国人居留地があったことを知る人は、多くはない。
明治期、岡山に異人館が建ち、ベリーやペティー、アダムス、ケーリらの宣教師、英語教師のガントレットにより、西洋文化の風が吹いた。彼ら若き西洋人と石井十次や上代淑らの日本人が、福祉や教育などの分野で残した業績の記録。