佐藤定氏あいさつ 今日はこんな壇上に立たして戴いて、とても緊張しております。真空になった頭に田舎の山野が浮かんでいます。逃げて帰りたいと思っているからです。そうもいきませんので脱線癖しながらお話させて戴きます。 僕は『蚕のおくりもの』を手にした時、しばし程よい重さをもて遊んでいましたが、ハッと気づいて一冊を早速、作家藤原審爾の霊前に送りました。彼が僕の師であるというのだけなら、ここでこんなお話はいたしません。この絵本のできた背景の「蚕を巡る子どもや大人たちの働き」が、藤原審爾の[科学的子育て論]にピッタリと合致符号しているからで、作家藤原審爾は、永年『人間講座』という、人間を多面 的に研究する集団を主宰していました。文学者、哲学者、歴史家、日本のトップクラスの科学者などでしたから、一門の研究成果 はそのまま、日本での『人間に関する科学』の最新のもので最高の水準でした。何度も杉並詣でをし、『人間学』に出会った僕は、目から鱗が落ちる思いがし、世界観が拡がった気持ちがしました。 『子供は誰でも〈良いもの〉を持ってこの世に生まれて来ている』と言えば、その子の知的側面 を期待したり、1〜2の可能性を連想しがちだが、『良いもの』とは、そのどちらでもなくヒトの最もヒトらしい特質・本性、いいかえれば本能という生得的能力です。 幼い(特に10歳までの)子供は、これを引き出し、触発して、発展させれば、情緒・情操、そしてそのトータルである感性となることが、しごく最近の人間科学で証明されました。蚕を飼う子供達はここのプロセスをやっているのです。 10歳までと断る理由は、10歳でその子の[人格の大枠]である[感性]は、95%出来上がることが生命科学の成果 で判明したからです。 10歳を待たぬ[詰め込みの知育学習]は、人間の特質の発展をゴチャゴチャに破戒し、人間を人間でなくします。一旦そうなれば…その後何をどう考えても、自閉症・非行・犯罪を吹き出して来ます。今日この実例は巷にあふれています。 さて、明宣くんと真ちゃんは[問題の10歳]を挟んでいましたが、この時、僕でないほうのジイチャンから毛くずのような蚕の幼虫をもらいました。聞けば、ジイチャンはその前々の年に明くんたちの庭にソッと桑の木を植えて帰っていたといいますから、幼虫をもって来てくれたのは、かなり手の込んだ計画的犯行…の疑いがあります。こちらの子育て論ジイチャンはその頃何をもって行ったか、思い起こして見ると…[焼き鳥]なんです。 さて、明くんと真ちゃんは、学校で昆虫博士と言われるほどの生き物好き兄弟でした。二人の博士は、大勢の人々に支えられながらも、激突と和解を目まぐるしく繰り返しつつ頑張ってがんばって掛け替えのない体験をします。 1.蚕を飼うなかで人間以外の生命にジカに触れ沢山お話をしました 2. 二人の成長のためならと、青い畳の部屋を惜しげもなく解放してくれた父母の 深い思いやりを実感し、 3.力が尽きそうな時に、駆けつけてくれた友達や、多くの大人たちの暖かさを全 身で感じました。 こうして二人は大仕事をやりとげ、そのなかで、[本物のやさしさ]を身につけてくれた訳です。 このところ17歳の犯罪が引きかねになり、学校でも命の貴さを教えようとしています。しかし学校は『命の貴さ』を黒板に書いて、言葉で教えるだけではありませんか。それでは感性どころか、不毛な観念の伝達でしかありません。明宣くんと真ちゃんと、その仲間たちは、学校の場合とは違い『自分でヤッタ』…具体的に実践・体験したのです。一方、子供達を包んだ大人達も、輝く子育て家でした。『命の貴さ』という言葉は一度も口にせず黙々と働き、子供達がそれを体得するのを、ひたすら支えたのでした。 さて皆さん、いま振り返ってみると蚕を巡る一大騒動は、有形なもの無形なものを沢山残してくれました。今日お披露目している絵本『蚕のおくりもの』もその一つです。しかしこの絵本は、単に、蚕を飼う二人の子供がいて、その奮闘ぶりを綴るママさん作家がいて、画家のジイちゃんがいて、できたものではりません。明くん真ちゃんの回りには[命を大切にする子供]の一団が出来、次いで、これをバックアップする大人の連帯の輪が出来ました。このことが感動的です。昨今の世相にあるまじき眩しさです。この絵本は、その眩しさの副次的産物です。まさに大勢の人々が結集した[人間本性に基づく共同]の産物です。そうした意味から僕は蚕に拘わった全ての人々に心からの尊敬と感謝を捧げます。みなさん感動をありがとうございました。 世界の演奏家アテフ・ハリムさんが駆けつけてくださったのも、生き物を巡る子供達、それを暖かく包む大人の皆さんの一連の働きが光を放ち、共感を呼んだからではないでしょうか。『地球上の命はどれも宇宙の産物、どれもこれもみんな貴い』『人間の力はそれらを衛る方向に発揮されるべきだ』といえば、必ず頷いて下さるのではないでしょうか。アテフ・ハリムさんの音楽は世界に響くものですが、生き物を愛する国境を越え世界を包まなければなりません。この事をアテフ・ハリムさんに学んだ思いがします。ありがとうございました。皆さん[ハリムさんに]…そして[ハリムさんとの出会い]に拍手をお願いします。 後になりましたが、蚕をめぐる一連の人の[人らしい営み]に、深い関心を寄せてくださり、見事なチームワークで形あるものにしてくださった出版関係の方々や報道関係の方々に厚いお礼を申します。 そして『蚕のおくりもの』を手にして愛読してくださる方々は、人が人である喜びをほのぼの感じて下さるであろうし、私たちと同じ思いを共有してくださると信じます。一見、荒廃して、衰退して、行方が分からなくなるような人の世に、心のキズナの確かな拡がりを感じます。この後しばらくの歳月を挟んでのことでしょうが[小田由紀子・佐藤定のコンビ]がもし再び出来ましたら、またお会いください。みなさんありがとうございました。 2001.1.13 |