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多病息災にくらす健康生活術





■サブタイトル:病気も老いも仲良くつきあう22章
■著者:佐藤博道(さとう内科院長)
■仕様:四六判  上製本カバー付き
■頁数:242ページ
■定価:1575円(本体1500円+税)
■ISBN978-4-86069-200-1 C0047
■発行 2008年6月6日

●内容:みんな病気をもって生きていく社会です。多病息災にくらす時代です。これからの時代は、健康だけが価値をもつと考えるのは、まちがいです。病気でもいい、年をとってもいいのです。病気になっても、老いても、人間の価値は一向に変わりないからです。ですから病気や老いとは、仲良くつきあっていくのが一番いいのですと説く開業がまとめた息災に暮らすための22のポイント。

●著者プロフィル
佐藤博道(さとう ひろみち)
1949年岡山市に生まれる。岡山大学医学部卒業、岡山大学大学院医学研究科修了。医学博士。
11年間、病理医として、顕微鏡診断、病理解剖、病理研究業務に従事。
1985年、内科へ転向。川崎医科大学附属川崎病院内科医長、川崎医科大学内科講師を経て、1993年岡山市に内科医院を開院。現在にいたる。
趣味、特技は、ガーデニング、読書、旅行、ながら勉強、なんでも独学(料理、墨彩画、囲碁、英会話、ゴルフ、フルートなど、ただし、上達は望まない)

●目次
第1章 遺伝か、環境か
第2章 食生活のポイント
第3章 水は命のみなもと
第4章 腸の健康―便秘対策
第5章 腸の健康―おなら対策
第6章 薬ののみ方と食べ合わせ
第8章 ウオーキングのすすめ
第9章 骨を丈夫に
第10章 ぐっすり寝て、すっきり起きる
第11章 安全な入浴法―お風呂は危険がいっぱい
第12章 ストレスは受けながす
第13章 疲れをとる
第14章 呼吸法あれこれ
第15章 禁煙で息災
第16章 皮膚の老化を遅らせる
第17章 紫外線をさける
第18章 蚊に刺されないように
第19章 痛みをとる
第20章 免疫力をつける
第21章 もの忘れを減らす
第22章 百寿者に学ぶ

●あとがき
  高齢化社会は、みんな病気をもって生きていく社会です。多病息災にくらす時代です。これからの時代は、健康だけが価値をもつと考えるのは、まちがいです。病気でもいい、年をとってもいいのです。病気になっても、老いても、人間の価値は一向に変わりないからです。ですから病気や老いとは、仲良くつきあっていくのが一番いいのです。
  今の医学で治せる病気は、急性疾患だけです。慢性の病気は治りません。今の医学でできることは、病気の進行をコントロールし、「老病死」を先送りすることだけです。病気はいやだ、年をとるのはいやだというのでは、いつまでたっても不安が消えません。また、健康グッズやサプリメントに頼るアンチエイジングも無駄な努力です。
ひろさちやさん(宗教文化研究家)の解釈によれば、お釈迦様は、「生老病死」を「思うがままにならないこと」と教えてくれました。いつまでも若くあろうとし、また病気を拒否して生きようとするのは、おろかなことだと思います。 
釈尊のたとえ話に「第二の矢」というのがあります。病気になれば誰でも苦痛を感じます。これが第一の矢です。しかし、病気のことで思い悩むと、第二の矢を受けてしまいます。第二の矢のほうが、もっと人間を苦しめるのです。悟りを開いた人は、第一の矢を受けても、第二の矢は受けません。病気になったら病気になったでいいと考えるからです。
病気になると、いいことがあります。ひとつは、健康のありがたさがわかります。次に、家族の大切さがわかります。そして人に優しくなれます。また健康な時には考えもしなかった「自分」をみつめるチャンスとなります。「死」を考える時間ともなります。そして運よく病気から回復した時には、人生の中身が濃くなっています。
  また年をとると、今までみえなかったものがみえてきます。こわいものがなくなります。
  病気になること、老いることは人生の大切な要素です。今まで病気になったことのない人は、病気の人の気持ちがわかりません。また自分が病気になるはずがないと思っている人は、もし病気になったときには、落胆が大きくなります。あまり健康を欲張ってはいけません。私たちは、いつどんな病気になるか、どんな事故に遭うかわからないのです。
江戸時代の禅僧良寛さんは、越後の大地震に遭った時に、「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これは、コレ、災難をのがるる妙法にて候」という書状を知人にあてて書いています。
病気になった時には、そのまま病気を受けいれることです。そうしないと病気はいつまでたっても病気のままです。苦しいだけです。仏教の教えでは、人間は四百四病をかかえて生まれてくるそうです。まず人間は病気になるものだと悟ることが、多病息災にくらす第一歩です。
正岡子規は『病床六尺』のなかで、「余は、禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りということは、いかなる場合にも平気で死ぬことだと思っていたが、これは間違いで、悟りということは、いかなる場合でも平気で生きていることだ」といいました。これは、子規が脊椎カリエスの激痛で苦しんでいた時に悟った心境です。病気でも年をとっても平気で生きていく、これがまさに多病息災にくらす悟りの境地です。
この本は、多病息災にくらすための知識や技術を開業医の立場から述べたものです。病気になっても、老いても、息災にくらしていくための二二の要点について述べています。
地域の開業医は、患者さんの悩みや生活を最も身近に感じています。そしてまた開業医は、患者さんから病気のことだけでなく、生き方や死に際など、いろいろなことを日々教わっています。この本のなかには、患者さんから教わったことも多数含まれています。
養生には、その人の人生観が最もよくあらわれます。病気になっても、老いても、人生をなげださず、一日一日を大切に生きていきたいものです。


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