津田弘道の生涯 −維新期・岡山藩の開明志士−
|
|
●著者名:石田 寛(広島大学名誉教授、岡山県文化財保護協会会長)
●判型:A5判、440頁、上製本、函入り
●定価:6,300円(本体6000円+税)
●ISBN978-4-86069-170-7 C0021 Y6000E
●内容
幕末維新期、岡山藩と新政府を舞台に活躍した岡山藩士・津田弘道の物語。
津田弘道は幕末、儒学と西洋流砲術を学び、海岸防備や京都御所守衛になり国事周旋方などを勤めた。
幕末には大政奉還建議の陰の立て役者として働き、神戸事件の事後処理でも奔走。維新後、海外視察団の一行に選ばれ、鉱山の採鉱・製錬と陪審制度を視察研究した。
帰国後は新政府の高級官僚に起用され、 鉱業や法曹の面で日本の近代化に貢献した。
『津田弘道家資料』や『池田家文庫』など膨大な資史料を丹念に読み、40年もの調査・研究のうえ書き上げた著者渾身の研究書。
●著者プロフィル
石田 寛(いしだ・ひろし)
大正8年3月岡山県赤磐市(旧熊山町)に生まれる
昭和15年3月 広島高等師範学校文科第三部乙卒業
17年9月 京都帝国大学文学部史学科地理学専攻卒業
大学院入学
10月 現役兵として中部第48部隊
(歩兵第十連隊留守隊) 入隊
19年8月 兵科見習士官、 陸軍中央通信調査部
20年1月 陸軍少尉、 9月召集解除
21年8月 岡山県玉野中学校 (旧制) 教諭
22年3月 岡山県第一高女 (旧制) 教諭
23年11月 岡山師範学校教授
27年12月 岡山大学助教授 (教育学部)
37年2月 ニュージーランドへ
日本・ニュージーランド文化交流計画第1号として
派遣され、 39年4月まで在外
3月 文学博士 (京都帝国大学第263号)
41年11月 広島大学助教授 (文学部)、 教授 (同47年)
41年12月 Ph.D. in Geography (Auckland)
57年4月 広島大学定年退職 (名誉教授)。
福山大学教授(平成元年学長補佐、
平成8年定年退職、特任教授、同14年客員教授)
平成 9年5月 岡山県文化財保護協会会長
著書論文多数
●目次
序
一 研究方法
二 津田弘道に関する本著者の著作物
三 津田弘道略年譜
四 本書の構成
五 主題図及び本書登場人物と津田弘道との関係マトリックス
第一章 津田家家系と弘道の生い立ちと勉学
一 岡山津田弘道家初代から六代まで
二 七代目、 父津田弘和
三 弘道 (八代目) の生い立ち、 勉学
第二章 房総海岸防備と大坂警備
一 概観
二 房総海岸防備
三 大坂警備
第三章 伝統武芸と西洋大砲の両刀遣い
一 岡山藩江戸藩邸武芸稽古場 世話役
二 津田家の江戸引き揚げ国元岡山へ
三 京都詰
四 父津田弘和の岡山帰任
五 岡山城下町の拡充
第四章 探索周旋
一 岡山藩周旋役の面々
二 水戸天狗党探索
三 長州廻文をめぐる協議・建白
四 周防岩国探索
五 第一次征長軍阻止周旋
六 中岡慎太郎、 坂本龍馬と津田弘道会談
七 第二次征長軍に阻止周旋
八 周旋・外交方多事多端
九 勤皇党決起の砲声
第五章 朝藩体制のもとで
一 鳥羽・伏見の戦と岡山藩
二 神戸事件
三 貢士
四 岡山藩東征軍参謀
五 岡山藩侯の恤兵使兼軍務官、刑法事務、参謀として箱館出張
第六章 藩政改革を推進
一 外交方頭取
二 議事専務大属
第七章 日本最初の世界周遊
一 選考・出発準備
二 アメリカ号乗船・出航
三 アメリカ大陸
四 英京龍動ロンドン
五 大陸ヨーロッパ
六 同行一八名帰国後の活躍
第八章 工部省 鉱山寮出仕
一 明治政府高級官僚
二 津田の篤い人間関係
三 本寮勤務二カ月
四 二羽北越佐渡諸鉱山点検
五 借家から購入自邸 (富士見町) へ
六 いわゆる 「佐渡奉行」
第九章 判事
一 存在感をかみしめあう鶏牛会
二 裁判所・上等裁判所・大審院などの判事を歴任
三 大審院判事から広島裁判所・山口支庁所長代理に転出
第十章 岡山藩の士族授産
一 概観
二 廃藩置県後の岡山区
三 偕行会社再建取締役
四 国立第二十二銀行取締役
第十一章 津田弘道の学問思想と晩年の生活
一 組織力
二 晩年の生活と学問
三 弘道、 鬼籍に入る
おわりに
一 跋 (文)
二 調査研究断想
事項索引
>>本のご注文
|
|