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財田川夏物語




●著者 伊藤 健治(イトウ ケンジ)
●判型 A5判変型(W128×H210)
●仕様 上製ハコ装
●ページ数 96ページ
●ISBN978-4-86069-161-5 C0093 Y1500E
●定価 本体1500円+税

●11歳の少年の身体は壊れはじめた。筋ジストロフィーの著者が、死の直前に書いた切なくも美しい珠玉 の自伝小説。香川菊池寛賞受賞作。
●内容 昭和32年夏。穏やかな田園地帯に囲まれた小さな町、そしてその町を流れるひと筋の川。そこに生きる人々の人間模様を病魔に冒された少年の目を通 して描く。女性的なるものへの淡い思慕と忍び寄る死の予感。哀切と叙情の織りなす少年の世界には、わたしたちが忘れていた、遠い、懐かしい風景が、ある。

●著者プロフィル
伊藤健治(イトウ ケンジ)
第41回香川菊池寛賞受賞者、四国新聞社客員論説委員。
2006年3月1日、くも膜下出血のため59歳で死去。
塾講師の傍ら、筋ジストロフィー患者としての体験をベースに、医療、文芸など幅広い分野でエッセーや論文を発表。
2003年から四国新聞社客員論説委員。2006年2月には、難病を抱える少年の成長を描いた初めての小説「財田川夏物語」で、第41回香川菊池寛賞を受賞したばかりだった。

■年譜
1946(昭和21)年3月10日 香川県三豊郡山本町(現三豊市)財田西で生まれる。
小学校5年生のとき、幼い頃からの病が「進行性筋ジストロフィー」とわかる。中学生のとき、自力での歩行が困難となる。(学友などに背負われたりしながら助けられ、充実した中学校、高校生活をおくる)
1961(昭和36)年 観音寺第一高等学校入学
1964(昭和39)年 同校卒業。卒業後、英語塾を始める。私塾のかたわら、子供に関わり合う現場からの声、筋ジス患者としての自らの体験をベースにした「医療」や「教育」の論文・エッセイに取り組む。
1977(昭和52)年 筋ジストロフィー児の会を友人と設立
1983(昭和58)年 【毎日21世紀賞特選】受賞 論文「魂のキャッチ・ボールを求めて」 毎日新聞社主催〈人間とコミュニケーション〉
1984(昭和59)年 【厚生大臣賞】受賞 論文「医療へのまなざし」 読売新聞社・日本医師会主催〈一億人の医療体験記コンクール〉
1984(昭和59)年〜1985(昭和60)年 Japan America Institute of Management Science(ハワイ ホノルル:日米経営科学研究所)に留学。(国際コミュニケーション学科、アメリカ文化を専攻)
1988(昭和63)年 カリフォルニア大学ゼミに参加の後、アメリカを車いすで旅し、様々な人とふれあう。アメリカ紀行をエッセイとして四国新聞に掲載13回「晴れ時々車いす」
1988(昭和63)年 入選 エッセイ「ぼくの仕事場はおウチです」 ライフ・サイエンス社主催〈エッセイ・随筆いきがい仕事〉
1992(平成04)年 【毎日21世紀賞】入選 論文「成熟化社会へのアプローチ」 毎日新聞社主催〈人間と教育〉
1992(平成04)年 入選 論文「ホモ・ペイシェンスの視座から」 健康保険組合・毎日新聞社主催〈医療の未来を考える〉
1992(平成04)年 入選 論文「Bussing Across Cultures」 JAIMS JOURNAL(アメリカ) 異文化との出会い
1993(平成05)年 NHK四国人間あいらんど(30分放送番組)に出演 番組名「車いすとんだ」
1993(平成05)年 NHK列島リポート(20分放送番組)に出演
番組名「車いすでもとべるんだ」
1995(平成07)年 朝日新聞にコラムを連載
2001(平成13)年 講演活動=車いすでの活動、教育、福祉問題について、看護学校、中高校、大学などでの講演は30回を超える。ホスピスワーカ=緩和ケア病棟にて患者との対話や音楽を通 し、生きる意識や感動を与えるホスピス活動を続ける
2003(平成15)年 四国新聞社 客員論説員として「論点香川」に執筆
2004(平成16)年 【中條文化振興財団賞】受賞
2006(平成18)年 小説「財田川夏物語」で【香川菊池寛賞】受賞
2006(平成18)年3月1日 くも膜下出血で急逝、満59歳と11ヶ月であった

●四国新聞「一日一言」から
 授賞式を待たずに急逝した伊藤さんの作品は、昭和三十年(一九五五年)代の、財田川周辺の自然を舞台に、難病を抱える十一歳の、篤彦少年の成長と心の揺らぎを描く。日本が高度成長期に入る時期で、まだ自然や古きよきものも多く残っていた。
 周囲の人たちに支えられながら、進行性筋ジストロフィーという難病とともに生きた伊藤さんだけに、主人公の篤彦は作者の分身であろう。不自由になり始めた体を、思いっきり開放できるのが夏、川での水遊び。守やタケシとの友情のきずなも強い。
 小料理屋の「ぎおん」で働く母好恵やその仲間、ぎおんに出入りする大人たちが、篤彦の目を通 して描かれる。大阪からやってきた葉子に胸を熱くするのも夏。物語全体に夏の彩 りが濃い。財田川は人生と重なり、悠久の時の流れを象徴する。
 台風に襲われた財田川はノアの洪水を思わせる。庚申(こうしん)さんの夜なべの集まりで、人の体の中に住む三匹の虫を封じるという話から、篤彦は奇妙な怪獣の夢を見る。病気への不安は少年につきまとう。伊藤さんが敬愛した寺山修司も、ネフローゼを患った病歴を持つ。
 寺山修司の初期の短歌に「海を知らぬ少女の前に麦藁帽(むぎわらぼう)のわれは両手をひろげていたり」という一首がある。どこかで伊藤さんの心と通 じ合う。「財田川夏物語」は日本が失った大切なものについても、問いかけている。