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- 『世界の美しい病院─その歴史』刊行インタビュー
- 石田純郎さん(医師、岡山医学史研究会代表)
インタビュアー:金澤健吾(吉備人出版担当者)
雑誌連載の記事を再編集して書籍に
- 金澤
世界の病院を取材されるようになった動機は?
- 石田
ヨーロッパの病院は修道院が由来というのは、いくつかの施設を見ていて分かっていました。
これを書くきっかけになったのは、本書の後ろから二つ目にあるトルコのエディルネという施設です。
モスクが病院と医学校になっているのを見てからです。
修道院に病院と医学校が一緒になった例はヨーロッパにたくさんあるのですが、モスクと病院が一緒になっているのを見たのは初めてでした。
その原稿を契機に製薬会社の機関誌に連載を始めて、23カ国、88施設を紹介しました。その連載を再編集したのが本書です。- 金澤
代表をされている医学史研究会はどんな会なのですか。
- 石田
この会は全国にあるのですが、私が関わっているのは岡山医学史研究会です。
平成16年に4人で始め、1年に1回、会員が医学史関係の発表する講演会を行っています。
会員が約20人、講演者が10人を超すぐらいになっています。- 金澤
取材されて、最も印象に残っているのは?
- 石田
一番印象的なのは、本書の最初に載せている、2000年前のアスクレピオス神殿です。
アスクレピオス神殿はヨーロッパの病院のルーツとされ、古代ギリシャ文化圏に600カ所置かれました。
現在、見学可能な場所が20~30カ所ぐらいあるのですが、そのうち7、8カ所に取材に行って、この本で紹介しました。
一部は有名なのですが、メッセの古代アスクレピオス神殿などは日本でまったく無名でした。
これを、熊本大学の建築学の教授が弟子と共に数年かかって発掘しました。
詳しく紹介しているのは、この本が最初です。
それ以外にも日本では全く無名のアスクレピオス神殿を紹介しています。
困窮者を救う宗教的な収容所から
- 金澤
世界の病院は地域によってどんな特色がありますか?
- 石田
ヨーロッパは、国によって少しずつ違います。
イギリス、スペイン、ポルトガルを除いて、他の国は修道院由来の施設が多いですね。
イギリスは修道院をイギリス国教が廃止したので、修道院由来の病院は成り立ちませんでした。
だから特殊病院、救貧者を扱う病院や公的な病院が多いのがイギリス特徴です。それからスペインの病院は王立という特徴があり、修道院に関係する施設はありません。
ポルトガルの病院はミゼリコルディアという施設が16世紀17世紀からあって、そのミゼリコルディアという慈善組織が病院と教会を維持しているという特徴があります。ミゼリコルディアは16世紀末に日本にも導入されて、長崎や京都にあったようです。
日本史の中ではミゼリコルディアが困窮者収容所を運営したという記録はないし、日本史の研究者はそういうことに気がついていないのかもしれません。
しかし、ポルトガルの施設に全部病院が付設していたということを考えると、日本のミゼリコルディアにも困窮者収容施設があったに違いないと思っています。- 金澤
中世のヨーロッパでは、ペストやレプラ(ライ病)の収容所施設があったのですね。
- 石田
ペストは同時多発的に患者が増えます。
中世ヨーロッパの都市は、防御壁で囲まれています。
オランダでは堀で囲まれていますが、ほとんどの都市は城壁で囲まれています。
ペストの場合は、城壁のすぐ外に収容施設のペストハウスがつくられました。
同時に大勢の患者さんが発生するので、すぐに連れていく必要があり、都市の近くに置かれました。レプラの場合は、個発例が多いので、町から遠いところに施設が作られています。
レプラは接触しても発生率が低く、0.1%ぐらいで、ペストは50%ぐらいです。
その発生率の違いで、施設の有りように差があります。- 金澤
岡山にある長島愛生園が、本書で紹介されていますね。
- 石田
韓国にある小鹿島のハンセン病療養所と一緒に、瀬戸内市の国立療養所長島愛生園を掲載しています。
長島愛生園は1930(昭和5)年に建てられた事務本館が保存され、歴史館として展示・公開されています。
国や地域による病院の歴史的変遷
- 金澤
多くの世界の病院を取材して見えてきたことは?
- 石田
歴史的な病院も現代と同じ名前(ホスピタル)ですが、発生したときには別の機能があったということです。
病人だけではなく、いろんな困窮者を収容していました。
老人、貧困者、孤児、捨て子、売春婦、精神病の患者、巡礼者などが収容されていました。
同じ名前のままで、時代を経て傷病者を入院させ、治療するする施設に変わってきたわけです。ヨーロッパの古い施設が最初は困窮者を収容したのに対して、病院の歴史が新しい日本をはじめ、アメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどの新世界の施設は、最初から傷病者を収容しました。
- 金澤
日本の病院はどんなことがいえますか?
- 石田
日本の病院は機能的には世界の最先端にあると思いますが、患者さんの心の救済をする施設がないと思います。
それは宗教施設のことです。
ヨーロッパやアメリカの病院には教会があり、イスラム圏の病院にはモスクがあります。
日本で宗教施設があるのは、一部のキリスト教系の病院だけです。
日本が特殊なのは、仏教が江戸時代にお葬式に特化していったことに起因しています。
仏教が困窮者の施設をつくったのは古代に例がありますが、近世・近代では少ないようです。また、現在でもヨーロッパのほとんどの病院では、その病院ブランドのワインやビールがあり、そのお酒で病院の維持費を捻出した例が多くあります。
フランスやドイツの病院では、肝臓の病気の人を除いて、少量のお酒は患者にも飲ませているようです。
日本の大きな病院内にはコンビニがあっても、ビールは売ってないのが普通です。
だからアルコールとのかかわりが、ヨーロッパの病院と日本では違うわけです。- 金澤
読者に読み取ってほしい点は?
- 石田
まずきれいな写真を見てもらって、世界の病院は歴史があることを感じ取ってもらいたいですね。
国別に分けていますから、国によって地域によって、それぞれ特徴があります。
それが近代になると、現代的な大きな病院になった例、養老院のままで留まって現代的な病院になりそこねた例などがあります。
また、大学病院に進化した例など、いろいろな発達過程があるので、病院施設の歴史的な変遷を読み取ってもらえると嬉しいですね。- 金澤
取材で苦労したことは?
- 石田
取材を始めた20年ほど前は、訪問する施設を選択するときに情報が少なかった。
今はインターネットがあるので、施設が決まれば行き方などはすぐ分かるようになりました。
それでも日本語の文献はほとんどありません。
英語のガイドブックを隅から隅まで読んで「ホスピタル」とか「ゲストハウス」とかの単語をチェックして、ネットで調べて行きました。
そこまでの過程がたいへんで、楽しかったですね。
英語やドイツ語、フランス語はいいのですが、スラブ圏は情報が入りにくくて苦労しました。- 金澤
今後の活動予定は。
- 石田
今も製薬会社の機関誌に、記事を提供して連載は続いています。
これまで取材した原稿があるので、それを整理して提供しています。
新型コロナウイルスの感染がまだ収まっていないので、取材や写真を撮影で海外に出かけることができません。
これからも、できる範囲で歴史ある病院の取材を続けて行きたいと思っています。
著者略歴
- 石田純郎(いしだ すみお)
1948年岡山県笠岡市生まれ。
1973年岡山大学医学部卒。医師。
岡山大学病院小児科、小児神経科。三菱水島病院小児神経科。
1985年岡山大学から医学博士号授与。
学位論文で日本てんかん学会J.A.Wada賞受賞。
オランダ国立ライデン大学客員教授(医史学)。新見公立短期大学教授。
2005年岡山大学から博士(文化科学)号授与、学位論文の一部で日本医史学会学術奨励賞受賞。
山陽放送文化財団第35回谷口記念賞受賞。現在、中国労働衛生協会医師、岡山医学史研究会代表、医学史研究会評議員、日本薬史学会理事、岡山大学医学部非常勤講師(医学史)。
著著(単著)に『江戸のオランダ医』『蘭学の背景』『緒方洪庵の蘭学』『ヨーロッパ医科学史散歩』『アジア医科学史散歩』『オランダにおける蘭学医書の形成』。