悲眼院のあゆみ
著者 | |
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発行 | 吉備人出版 |
仕様 | 四六変形判 並製本 |
ページ数 | 223ページ |
価格 | 本体1,500円+税 |
ISBN | 978-4-86069-756-3 C0036 |
初版年月日 | 2024年12月13日 |
書店発売日 | 2024年12月13日 |
大正3年、岡山県小田郡北川村(現在の笠岡市走出甲弩)に誕生した無料診療所は、貧民救済のための診療所として地域の防貧活動を支えた。昭和25年に虚弱児施設「悲眼院」となり、戦後の食糧難の苦しい時代を乗り越え、虚弱児施設からへと再編成して今日に至っている。
著者は、悲眼院の卒業生として、同院が果たしてきた役割と歩みを記している。本書は2019年に発表した『悲眼院―福祉の真髄に迫る』の続編。
目次
悲眼院のあゆみ「前がき」
初版本「悲眼院」のはじめに
序章 全国的にも珍しい無料救療施設「悲眼院」
〇卒業生の思い出 その一
第一章 大正時代の「救療施設 悲眼院」創設期
〇民生委員の源流 済世顧問制度創設の笠井知事/大正は「防貧」時代/赤磐市に現存の「天心寮」/画期的な禁酒運動/民生委員制度創設百周年/日本国中で民間個人経営の施設は三か所のみ/百年以上も個人経営を貫いた「社会福祉の原点」
第二章 救療施設「悲眼院」のはじまり
〇そもそもは「お薬師信仰への疑問」/初代 悲眼院院長 渡辺元一医師/真言宗僧侶らの発起人/「悲眼院」 初代理事長 高橋慈本師/悲眼院の足になった軽便「井笠鉄道」/「悲眼院」設立の申し合わせ/不動の院是/百年以上の「悲眼院」に生きる不動の院是/悲眼院十年史からの抜粋/なんで悲眼院と呼ぶの?/生涯続けた禁酒運動/岡山県の社会福祉事業に取り組んだ先覚者たち
第三章 救療施設「悲眼院」苦難の道
〇警察の干渉や妨害工作/眼科、内科の病室「静思寮」の完成/よくも生きてこられし……「悲眼院」/北川小学校の児童らが/二代目院長 谷本峻 医師/悲眼院を陰で支えた人々/夏に氷を届けた理髪店主は小田町の坪田勘次郎氏/走出薬師を桜の名所に/三十七年間の実績…/暗い世相の一隅を照らす/二代目高橋弘基師に引き継がれて/高橋弘基師、耐乏の五年間
第四章 虚弱児施設の「悲眼院」へ
〇戦災孤児の過酷な環境/ラジオ放送の「鐘の鳴る丘」/新たな苦難の船出/子ども達の衣食住の確保/自由でアットホームな雰囲気/保母さんたちの献身的な勤務/おおらかな高橋弘基院長/卒業生の思い出 その二/子供の人権を最優先に/悲眼院の歴史を見つめる梵鐘/悲眼院を支え続けたおばあちゃん/卒業生の思い出 その三/一日一善日記/全員で取り組む「薪まき運び」/厳しい水飢饉/田舎の豊かな自然環境/中学校の柔道部主将 野球部のエース/山学校、川学校/自然災害や病気の蔓延/卒業生の思い出 その四
第五章 三代目高橋昌文院長
〇虚弱児施設から児童養護施設の「悲眼院」へ/高橋昌文院長の肖像と経歴/弘子さんは憧れのマドンナ/卒業生の思い出 その五/尚ちゃんの衝撃的活躍/小川大右先生との再会/三代目高橋昌文師の幼少期からの記録/ヤングケアラーだった弘子姉ちゃん/兄「もみの三喜雄」の思い出/卒業生の思い出 その六/「成豪君の心意気」をありがとう
初版本のあとがき
改訂版「悲眼院のあゆみ」のあとがき
年表
著者プロフィール
- 樅野 志郎
昭和18年倉敷市生まれ。平成元年より4期16年山陽町議会議員、平成17年より2期8年赤磐市議会議員。令和元年春の叙勲、自治功労賞として旭日双光章を受ける。著書に『悲眼院―福祉の真髄に迫る』(吉備人出版)がある。
※上記内容は本書刊行時のものです。