福西志計子と順正女学校
岡山県高梁市で、キリスト教の普遍的価値を選択し、「女子の自立」と「女子教育」の実践のために生涯を捧げた福西志計子。
女子教育の先駆者であった女性の苦悩の生涯、そして順正女学校の発展の軌跡を描く。
目次
「発刊に寄せて」 高梁学園理事長 加計美也子
『福西志計子と順正女学校』 の刊行に寄せて 元市長 樋口 修
著者はしがき
一章 備中松山藩 教育文化の伝統と山田方谷
1 備中松山藩の形成と教育文化の伝統
2 山田方谷の就学と有終館学頭就任
3 文武奨励策と藩政改革の特質
4 藩政改革成功の条件
5 山田方谷の理念と改革の目的
6 明治以降 備中高梁のおかれた社会経済的状況
7 山田方谷とキリスト教
二章 悲運 (父の死) を乗り越えて裁縫教師へ
1 福西家の系譜
2 父の死 (試練) と志計子の方谷塾牛麓舎入門
3 福西志計子の人となり
4 志計子が求めた理念
5 福西志計子の立志
6 福西志計子の思想と実践
三章 備中高梁の近代化と新島襄のキリスト教伝道
—福西志計子の回心—
1 備中高梁の近代化
2 新島襄のキリスト教伝道
3 新島襄の講演と福西志計子の回心
4 方谷精神に継木されたキリスト教
四章 試練との戦い—福西志計子の生きざま
—私立裁縫所・順正女学校設立—
1 キリスト教徒の受難と二人の教師の挑戦
2 高梁基督教会の設立
3 教会への迫害と順正女学校の創設
4 国家による圧力と教会からの自立
五章 順正女学校の教育理念と教育体制
1 順正女学校の教育理念とその修正
2 教師の陣容
3 教育体制
4 教育施設の充実
5 校歌と校旗の制定
6 寄宿舎の生活
7 卒業生の進路
六章 学校生活と課外活動
1 課外活動の指導目標
2 温習会と文芸会
3 運動会・遠足・修学旅行
4 校友会・清馨会と自治活動
七章 福西志計子を敬愛した若き使徒達
—留岡幸助・山室軍平・伊吹岩五郎—
1 志計子をめぐる人脈
2 木村静との (姉妹) 愛の絆
3 福西女史と河合久の師弟愛
4 留岡幸助との姉弟愛
5 福西志計子が山室軍平に注いだ愛
6 後継者伊吹岩五郎へ向けられた志計子の愛
八章 福西志計子の人間像
1 福西女史をめぐる人間像
2 福西志計子の新しい人間像
3 福西志計子の家庭生活
4 厳しさを包む大いなる愛
九章 神の御心のままに—崇高なまでに美しき死にざま
—病・祈り・そして天国へ—
1 志計子の活躍
2 病魔との戦い
3 信仰美談
福西先生語録
十章 順正女学校の発展と伊吹岩五郎の献身
1 創立者の死去と後継者問題
2 財団法人化
3 伊吹岩五郎校長の専任化
4 伊吹校長の教育方針
5 順正女学校の教育目標
6 県立移管の問題
7 河合久先生の退職
8 伊吹岩五郎校長の退職
9 伊吹校長の著作活動
十一章 県立順正高等女学校 その後の歩み
1 伊吹校長の後の歴代校長
2 高梁高等女学校へと改称
3 県立高梁第2高等学校と改称
4 高梁第1高等学校と合併
5 伊賀町校舎の廃止
6 伊賀町校舎閉鎖式
エピローグ 順正短期大学の誕生
主な参考文献
順正女学校略年譜
あとがき
著者プロフィール
- 倉田 和四生
職歴
昭和46年10月 関西学院大学社会学部教授
昭和51年4月 同 上 学部長
平成9年4月 吉備国際大学社会学部教授
平成11年4月 同 上 学部長
平成14年4月 同大学 副学長
平成16年4月 順正短期大学学長
平成18年4月 吉備国際大学教授
主な著書
昭和45年 『都市化の社会学』法律文化社
昭和59年 『訳(T・パーソンズ著)社会システムの構造と変化』創文社
昭和60年 『都市コミュニティ論』同上
平成8年 『北米都市のエスニック・コミュニティ』ミネルヴァ書房
平成9年 『防災福祉コミュニティ』同上
平成17年 『留岡幸助と備中高梁』吉備人出版
※上記内容は本書刊行時のものです。