津田弘道の生涯
幕末維新期、岡山藩と新政府を舞台に活躍した岡山藩士・津田弘道の物語。
津田弘道は幕末、儒学と西洋流砲術を学び、海岸防備や京都御所守衛になり国事周旋方などを勤めた。
幕末には大政奉還建議の陰の立て役者として働き、神戸事件の事後処理でも奔走。
維新後、海外視察団の一行に選ばれ、鉱山の採鉱・製錬と陪審制度を視察研究した。
帰国後は新政府の高級官僚に起用され、鉱業や法曹の面で日本の近代化に貢献した。
『津田弘道家資料』や『池田家文庫』など膨大な資史料を丹念に読み、40年もの調査・研究のうえ書き上げた著者渾身の研究書。
目次
序
一 研究方法
二 津田弘道に関する本著者の著作物
三 津田弘道略年譜
四 本書の構成
五 主題図及び本書登場人物と津田弘道との関係マトリックス
第一章 津田家家系と弘道の生い立ちと勉学
一 岡山津田弘道家初代から六代まで
二 七代目、 父津田弘和
三 弘道 (八代目) の生い立ち、 勉学
第二章 房総海岸防備と大坂警備
一 概観
二 房総海岸防備
三 大坂警備
第三章 伝統武芸と西洋大砲の両刀遣い
一 岡山藩江戸藩邸武芸稽古場 世話役
二 津田家の江戸引き揚げ国元岡山へ
三 京都詰
四 父津田弘和の岡山帰任
五 岡山城下町の拡充
第四章 探索周旋
一 岡山藩周旋役の面々
二 水戸天狗党探索
三 長州廻文をめぐる協議・建白
四 周防岩国探索
五 第一次征長軍阻止周旋
六 中岡慎太郎、 坂本龍馬と津田弘道会談
七 第二次征長軍に阻止周旋
八 周旋・外交方多事多端
九 勤皇党決起の砲声
第五章 朝藩体制のもとで
一 鳥羽・伏見の戦と岡山藩
二 神戸事件
三 貢士
四 岡山藩東征軍参謀
五 岡山藩侯の恤兵使兼軍務官、刑法事務、参謀として箱館出張
第六章 藩政改革を推進
一 外交方頭取
二 議事専務大属
第七章 日本最初の世界周遊
一 選考・出発準備
二 アメリカ号乗船・出航
三 アメリカ大陸
四 英京龍動ロンドン
五 大陸ヨーロッパ
六 同行一八名帰国後の活躍
第八章 工部省 鉱山寮出仕
一 明治政府高級官僚
二 津田の篤い人間関係
三 本寮勤務二カ月
四 二羽北越佐渡諸鉱山点検
五 借家から購入自邸 (富士見町) へ
六 いわゆる 「佐渡奉行」
第九章 判事
一 存在感をかみしめあう鶏牛会
二 裁判所・上等裁判所・大審院などの判事を歴任
三 大審院判事から広島裁判所・山口支庁所長代理に転出
第十章 岡山藩の士族授産
一 概観
二 廃藩置県後の岡山区
三 偕行会社再建取締役
四 国立第二十二銀行取締役
第十一章 津田弘道の学問思想と晩年の生活
一 組織力
二 晩年の生活と学問
三 弘道、 鬼籍に入る
著者プロフィール
- 石田 寛
大正8年3月、岡山県赤磐市(旧熊山町)に生まれる。
昭和15年3月、広島高等師範学校文科第三部乙卒業。
17年9月、京都帝国大学文学部史学科地理学専攻卒業、 大学院入学。
10月、現役兵として中部第48部隊 (歩兵第十連隊留守隊) 入隊。
19年8月、兵科見習士官、 陸軍中央通信調査部。
20年1月、陸軍少尉、 9月召集解除。
21年8月、岡山県玉野中学校 (旧制) 教諭。
22年3月、岡山県第一高女 (旧制) 教諭。
3年11月、岡山師範学校教授。
27年12月、岡山大学助教授 (教育学部) 。
37年2月、ニュージーランドへ日本・ニュージーランド文化交流計画第一号として派遣され、 39年4月まで在外。
3月、文学博士 (京都帝国大学第263号) 。
1年11月、広島大学助教授 (文学部)、 教授 (同47年) 。
41年12月、Ph.D. in Geography (Auckland) 。
57年4月、広島大学定年退職 (名誉教授)。福山大学教授 (平成元年学長補佐、平成8年定年退職、 特任教授、 同14年客員教授) 。
著書論文多数。
現在は広島大学名誉教授、岡山県文化財保護協会会長。
※上記内容は本書刊行時のものです。